大柄であるということ:『コンプレックス』を読んで
THE HUFFINGTON POSTで非常に共感する記事を見つけました。
『コンプレックス』とシンプルなタイトルの記事ですが、【大柄な女性】の胸にはグッとくる内容なのではないかな、と。
私は小さい頃から【大柄】でした。
二学年上の兄と、小学校に上がる頃には、ほぼ同じ身長で、さぞ彼には嫌な思いをさせただろう...と、思います。
【大きい = 強い】という小学生の世界で、「巨人」「怖い」「のっぽ」「怪人」などと言われた訳ですが、一番堪えたのは、当時好きになった男の子に「小さくて可愛い子がすき」と言われたことかもしれません。
当時は【小さい=かわいい】、大柄な私はこの【かわいい至上主義、日本】において、ステータスを得られないんだ、と思い込んでいました。
その影響もあってか、私はどんどん自分に自信がなくなり、猫背になり、割と闊達で目立ちたがりであった性格も、徐々に内向的になりました。
今思えば、思春期だなぁ〜、なんですが、中学時代は学校に行かない時期もあり、拗らせてしまったのも事実です。
高校に入り、(体格だけが原因ではないですが)そんな自分をなんとかしようと、思い立った様にアメリカ留学をしました。
留学先で身をもって体感させられたのは、自分がいかに【ちっぽけ】で【何も出来ない】存在であるか、ということ。
言葉も通じず、内向的になっていた私は、なかなか学校に馴染めず、友達もできず、授業もついていけず... 本当に苦労しました。
ただ、唯一卑屈にならなくてよかったのが、体格。
アメリカでも、平均よりも大きな方でしたが、縦にも横にも上には上がいた!笑
あ、私は割と普通なんだ... と、社会から受け入れられた気分になったものでした。
日本ではサイズがなくてイライラする、という理由で大嫌いだったショッピングも、少し露出の多目な服も、アメリカだとエンジョイできました。
【サイズが用意されている=社会に許容されている】そんな気分は初めてでした。
そんな居心地の良さで、1年で7キロも大きくなった訳ですが(自制心なさすぎ!笑)、帰国するとやはり、窮屈な生活に逆戻りでした。
ただ少しだけ心持ちが変化しました。
日本では平均よりだいぶ大きいけど、他の国に行けばまぁ標準範囲に入れるし...
自分が気にしている程、他の人は何とも思ってないかもしれない...(と、いうか思ってない!笑)
今でも、集合写真で自分だけが大きく写っていたり、なかなか着られる服や靴がなかったりすると、コンプレックスが再燃して落ち込むこともありますが、一晩寝れば忘れます。
昨今は平均的に大きくなり、私がTEENの頃よりは過ごしやすい社会。
けど、やっぱり最後に言いたい!
背が高いからってみんなモデル体型ちゃうんやぞー!笑
自分らしく生きる勇気がもらえる、アデルの名言集|ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)
アデルの歌声に惹かれるのは、彼女の心と身体な【大柄】かもしれません。笑