モノに宿るストーリー: 「別れの博物館」あなたとわたしのお別れ展
あなたは失恋したら、別れた相手との思い出の品をどうしますか?
捨てる?
燃やす?
あげる?
売る?
それとも、構わず使い続ける?
ちなみに私は、全部捨てる派です。
「別れ」の思い出の品、博物館に飾ってみない? 世界で話題の展示会が日本上陸
人生における【別れ】で、残されたモノに宿るストーリーを展示する...
えっらい事を考える人がいるもんです。
この記事を読んで、そして展示品のコンセプトを知って、
【別れ】というのは失恋だけではないのだ、と気がつかされました。
私も失恋をして、【もうこの世から消えてしまいたい】と思ったことがありました。
その傷は完全には癒えませんが、今や【勲章】の様なモノに変化しています。
※ ネタともいえる...
新たな出会いがあり、いわば【リプレイス】が完了した訳です。
それに対し、大切な人を亡くしてしまった場合はどうなんでしょうか。
所縁のモノと共に生きていく人もいるでしょう。
手放したくても、手放せないこともあるでしょう。
そこにストーリーがあれば尚更。
ストーリーを一人で抱えて、生きていくことが多いと思いますが、本当は誰かに聞いて欲しいのかも。
聞いてもらって、誰かの心の琴線に触れたら... それは素敵な事だと思います。
モノに宿るストーリーの為の展示会、今から楽しみです。
【台所】から覗く人生: 『東京の台所』
最近、『東京の台所 - 朝日新聞デジタル&w』という連載(で、いいのかな?)を読むのにハマっている。
色んな人の、色んな人生の断片を【台所】からすくい取った様な記事が、バタバタと生活する中で心地よく馴染んでくれる。
いわゆる社会的に【立派な人】とか、【おしゃれな人】とか、目的はなんであれ【努力を惜しまない人】をフィーチャーしたような読み物は、最近疲れてしまう事が多い。
自分が無目的に、よくわからないまま、中途半端に努力して、結果何も得られないような気分にさせられるのは、アラサー特有の【焦り】なのかなぁ。
ネガティブ思考はさておき、『東京の台所』は本当にそこら辺にいそうな人の台所【で】、ライターの大平一枝さんが世間話をしている感じだ。
生活のTipを聞いたり、おしゃれな食器や、見たことも無いようなブランドの調理道具、目玉の飛び出るような価格の食材を取り上げているのでは無い。
本当に、どこにいてもおかしくない様な人々と、おしゃべりしているような内容だ。
そんな中で、思わずほろりときてしまった記事がある。
<158>酒と、3週間前に逝った夫と、彼女の話 - 朝日新聞デジタル&w
タイトルの通り、夫を亡くした妻へのインタビューなのだが、そのやり取りがリアルで、愛おしくて、もらい泣き。
生きるって。
暮らすって。
こんなにも切ない事なんだな、と。
冬はどうしても、切ない言葉に反応しやすい。
疲れが溜まるのか、日が短いからか。
夏にはきっと、違う【台所】に思い入れを持っている気がする。
それまでずっと、この連載を通して、人の台所を覗き続ける... かな。
初めて【内示】を受けたなら
先週、突然、部長に呼ばれました。
就業時間は終わっている夜19:30頃。
会議室に入って突然...
「異動です」
?!?!?!?!?!
あまりに突然のことで、「はぁ。」と気の無い声を発してしまいました。
元々、将来的なキャリアの為にも、とマーケティングへの異動希望は出していたのですが、
そこはサラリーマン、【希望は通らないもの】と、どこか高を括っていました。
うちの会社は大きな異動が年明け内示、2月1日付というのが通例で、まさかこの繁忙期に内示を受けるとは思ってもいなかったのです。
前職を辞める、と決めたのも、希望が全く考慮されないと感じたからでした。
【希望通りになる訳ないだろ!】と、多くの先輩から笑われたり、諭されたりしましたが、道筋だけでも見せて欲しかった訳です。
当時の上司は、私が一人悶々としているのを感じ、人事部長との面接までセットしてくれました。
しかしそこで言われたのは【希望は約束できない】、【適性があるかわからない】、【今の営業所に女性の営業がいないから、あと3年は頑張ってもらうつもり】、という会社本位の方針でした。
特に引っかかったのは【適性があるか分からない】という言葉でした。
海外営業を希望して入社したのが、初配属は北関東の中核都市。
縁もゆかりもありませんでしたが、【まずは3年頑張っておいで】と、送り出されました。
自分で言うのもなんですが、営業成績は良かったんです。
上司や先輩にも恵まれ、自信もついていたところでした。
それも全て【認められれば希望が叶う】と思ってたから...
※ 大きな勘違い!笑
このまま、ここで、20代が終わってしまう... という不安に耐えきれず、東京で【似たような】仕事に就きました。
現職は、前職とプロダクトは変わりましたが、仕事の流れは同じ営業職。
中途ではあったものの、前職の経験もあり、(自分で言うのも変ですが...)すんなりと溶け込みました。
溶け込む程、多くの異動が無いような気がしていました。
半ば、マーケティングへの異動は諦めつつ、このまま営業としてキャリアを重ねて行くんだろうな... と、思っていた矢先の異動。
嬉しさよりも、不安が先にきます。
今後、まだまだ長いお仕事人生。
経験としては有り難〜い機会ですが、初めての異動。
しかも、初めて女性の上司の下で働きます。
※ チームも全員女性
社内も得意先も8割男性だったことを考えると、かなり大きな変化です。
新入社員の如く、マーケティングの基礎本を買ったのは言うまでもありません。
30歳を目前に、この変化を受け入れていけるでしょうか。
乞うご期待。
働くって孤独: 『マイレージ、マイライフ(2010)』
根暗な私の唯一の趣味は、映画観賞です。
働き始めてからというもの、『深く考えさせられる映画は疲れる』とか、『お子ちゃま向けの恋愛映画はイラつく』とか、食わず嫌いな事が増えた気がします。
学生時代は、歴史物や戦争物なんかを観て、少し世の中には分かった気がしたり、恋愛映画を観て友達とキャッキャしたり...
ああ、あの頃の私は何処へ...
なんだかやる気が出なかった月曜日の夜、Amazon primeでジョージ・クルーニーを見かけました。
おじさんなのに愛嬌のある、あの瞳に癒されたい!と、クリックしたのが『マイレージ、マイライフ(2010)』。
ストーリーは
年間322日も出張するライアン・ビンガム(ジョージ・クルーニー)の仕事は企業のリストラ対象者に解雇を通告すること、つまりプロの"リストラ宣告人"。「バックパックに入らない人生の荷物は背負わない」をモットーとする彼は、夢の1000万マイル達成をすぐ目前にし、しがらみから自由な生き方を楽しんでいた。そんなライアンに二つの出会いが訪れる。一人目は彼と同じく出張族のアレックス。気軽な大人の関係とお互い割り切って情事が始まる。もうひとつの出会いは新入社員のナタリー。ネット上で解雇通告を行い、出張を廃止するという合理化案を会社に提出しており、ライアンの立場と1000万マイルの達成を危うくする存在だった。異なる年代の二人の女性との出会いをきっかけに、人を"切る"ことで生きてきた男が"つながり"の大切さに気づいていく・・・。
ジョージ・クルーニー演じる主人公はさておき、彼が出会う二人の女性が印象的。
一人目は出張族のアラフォー、アレックス。
もう一人は新入社員のナタリー。
学生の頃に、思い描いていた理想の未来像が、少しずつ崩れ始め、取り乱すナタリーに対して、
(※ ただの失恋 笑)
バリキャリのアレックスは、そんな理想は夢のまた夢、と言わんばかりの余裕な態度を示します。
そういえば、色恋に悩むあまり仕事が手につかない事、あったなぁ...
会社の先輩や、得意先にまで、ベラベラ私生活を晒して、相談に乗ってもらったこともあったなぁ...
あれ、いつの間にそういうのなくなったんだろう?
あれ?
アラサーは、過渡期なのですね。
バリキャリ・アレックスほど、【仕事】【家族】【息抜き】の区別ははっきりとさせられないお年頃ですが、
今の様に働き続けるとすると、容易に彼女の様になることが想像できる訳です。
もちろん新入社員・ナタリーの気持ちも分かる訳ですが、既に「貴女の気持ち、分かるわ〜。私もそんな時があったから!」の領域。
この絶妙な【in between 】感がアラサー働く女のもがきなのだと思います。
まだ、いくつもの人生の選択がある。
けれど、お仕事に邁進すると、選択を保留したまま、もしくは深く考えない選択(割り切り)をして、あっという間に人生が進んでいく。
10年後に観たら、私は何を考えるのでしょうか。
【営業】という仕事について
「なんで保育士の給料は低いと思う?」というテーマに、「誰でも出来る仕事だからです」とコメントし、
賛否両論、ちょっとした論争が巻き起こりましたね。
ホリエモン、"保育士ツイート"の真意「大変だから給料が高くあるべきってのは間違い」 | ホリエモンドットコムブログ
この出来事に関する諸々を読んだ時、
【あぁ世の中、大半の人たちは、大変な仕事 = お給料を貰うべき】と、思っているんだなぁ、と再確認すると共に、(自分も含めそう思い込んでいることに)少々驚きました。
そもそも【大変な仕事】ってなんなんだ、という話ですし、どんな仕事もそれぞれに大変だというのは、説明するまでもない気がします。
そこで、【誰でもできる】か、そうでないかと言うトピックが浮上します。
私は、いわゆる【営業】という仕事に従事していますが、これも【誰でもできる】仕事だと認識しています。
会社の花形であるマーケティングの方に、そんな様な事を言うと、
「そんなことないですよ!●●さん、営業に向いてるからできるんですよ!」
なーんて事を言われますが、【向き不向き】を考慮しなければ、【誰でもできる】仕事です。
必要最低限の文書作成能力、計算能力(足し算・引き算・割り算・掛け算)、あとは人と話ができれば、基本の業務はできるからです。
最近は【営業】を志望して入社する人も少ないと思います(そもそも、私も営業を希望していません)。
【誰でもできる】けれども、やりたい人が多くないには理由があります。
【営業】に関して言えば、
- (種類は多岐に渡りますが)お客さんに頭を下げる仕事です。
- 対相手(人)の仕事なので、好き嫌いがあります。が、お客さんなので、こちらが8割ぐらい気を遣うしかありません。
- 数字という明確なノルマがあり、プレッシャーもかかります。
- 頭を使う事もありますが、動いてなんぼ!なところも多いです。
- 自分達の思いも大切ですが、貫けない事も多く、相手のセオリーを受け入れることが大切です。
長期的なビジョンを持ってなにかを作り上げていく仕事が最近は好まれるのかなぁ、と個人的には思うので、そりゃ【営業】人気ないわ、と納得です。
納得できないことも多いしね。
じゃぁ、なんで【営業】続けてるの?
と、言われれば、それはボトムラインに【自分が好きと思えるモノ】に関わっているというのがあるかもしれません。
【営業】という職種には、正直、魅力は感じませんが、【好きなモノに関わっている】という事だけで、私は今の仕事を続けています。
給与や待遇など、今より良い職はないものか、と探してもいます。
ただし、自分自身が少しの【やりがい】みたいなモノを感じている今、お給料だけが良いからという理由で、転職することはない気がします。
この保育士問題にも似たことが言える気がします。
給与が待遇が良くなれば、人は増えるのか。
そうではないと思います。
(※ 年収1千万です!と言われれば増えそうな気もしますが、現実的でないので。笑)
少子高齢化、保育士不足、モンスターペアレント、共働き世帯増加による保育時間の長時間化...
に加え、待遇が良くない、となれば、人気はなくなって当然な気がします。
それでも、働き続けている保育士さん達のモチベーションはなんなのでしょうか。
給与や待遇、ではないのだと思います。
課題を論じることは、どの様な環境においても非常に大切な事です。
しかし、課題ばかりを羅列してしまうと、光の見えない迷宮に入ってしまうということに、注意しなければいけません。
今、人手不足の業界で必要なのは、今、働いている人達に光を当てることかもしれません。
と、自分にも言い聞かせ、今日も仕事に向かいます。
MEET THE PARENTS:アラサー女が彼氏を親に会わせるということ
私がまだまだ子供だった頃、"Meet the parents (2000)"という映画を観て思いました...
娘の彼氏を前に、両親(特に父親)がこんなにもおかしな振る舞いをするなんて... コメディーだからだよね〜!
と。
世間一般からすると、かなり教育熱心な父と、天然ボケな母に育てられた私は、アラサーになるまで両親に自身の恋愛の話をしたことが【いっさい】ありませんでした。
「彼氏はいないの?」という、思春期ぐらいからあってもおかしくはない質問すらなかったので、話す機会もなく就職をしたのです。
(※ 人並みに恋愛をし、人並みに彼氏がいました。ちなみに。)
就職をして2年目ぐらいに、当時お付き合いをしていた人と旅行をすることになりました。
母に電話で
「●月に1週間ぐらい、マレーシアに行ってくるね〜。」と言ったら、
「誰と?」
と聞かれました。(※ 至極当然)
当時、なーんにも考えていなかった私は、まさかそんな質問されるとは、想定していなかった...!
「えぇ?今、お付き合いしてる人と...だけど?」
母、沈黙。
そして、次の言葉は
「お父さんは、それ、知ってるの?」
【それ】ってどれ?!旅行?!彼氏?!え?!
母の前に父に言うはずもなく...平静を装い、父には話していない旨を伝えると、
「私が若い頃は、そんなこと考えられなかった... お父さんに話すから、ちょっと待ちなさい」
と、言われました。
結局、旅行はしたのですが、その際「旅行の後でいいから、彼を一度、うち(実家)に連れてらっしゃい」と、(圧力たっぷりに)条件を出されたのでした。
電話の一部始終を聞いていた、当時の彼から
「そもそも俺の存在を伝えていない、ってとこが驚きなんだけど?隠してるの?」
「今までの彼氏はどうしてきたの?」
「ってか、自分のお金で旅行するんだから、別に両親の許可いらないでしょ?」
「別に会いに行ってもいいよ、それでご両親の気が済むなら。」
等々... 質問責めに合いました。
学生時代の恋愛TALKでは、親の話なんて出てこなかったけれど、就職してからはそんな話も増えた気がします。
あぁ、結婚しろっていうプレッシャーはこうしてかかってくるのか... と、初めて実感した出来事でもありました。
旅行の後、実家に当時の彼を連れて帰りましたが、両親はニコニコするばかり。
しかし!
その後、両親の猛烈リサーチが始まりました。
「どこの大学出てるの?」「仕事はなんなの?」「ご両親は?」「ご兄弟は?」「趣味はなに?」「食べ物の好き嫌いは?」...
当時、このままお付き合いが続けば、この人と結婚するかもなぁ、と思った人だったので、それなりに丁寧に答えたことを覚えています。
さて、時は流れ2017年。
現在、お付き合いしている人を母に会わせることになりました(用事があり上京するついで、らしいですが...)。
そんな過去の出来事を思い出し、今から非常に気が重い。
娘もだいぶいい歳なんだから、こちらも見定められている... と思ってほしいものです。
どうなる事やら...
大柄であるということ:『コンプレックス』を読んで
THE HUFFINGTON POSTで非常に共感する記事を見つけました。
『コンプレックス』とシンプルなタイトルの記事ですが、【大柄な女性】の胸にはグッとくる内容なのではないかな、と。
私は小さい頃から【大柄】でした。
二学年上の兄と、小学校に上がる頃には、ほぼ同じ身長で、さぞ彼には嫌な思いをさせただろう...と、思います。
【大きい = 強い】という小学生の世界で、「巨人」「怖い」「のっぽ」「怪人」などと言われた訳ですが、一番堪えたのは、当時好きになった男の子に「小さくて可愛い子がすき」と言われたことかもしれません。
当時は【小さい=かわいい】、大柄な私はこの【かわいい至上主義、日本】において、ステータスを得られないんだ、と思い込んでいました。
その影響もあってか、私はどんどん自分に自信がなくなり、猫背になり、割と闊達で目立ちたがりであった性格も、徐々に内向的になりました。
今思えば、思春期だなぁ〜、なんですが、中学時代は学校に行かない時期もあり、拗らせてしまったのも事実です。
高校に入り、(体格だけが原因ではないですが)そんな自分をなんとかしようと、思い立った様にアメリカ留学をしました。
留学先で身をもって体感させられたのは、自分がいかに【ちっぽけ】で【何も出来ない】存在であるか、ということ。
言葉も通じず、内向的になっていた私は、なかなか学校に馴染めず、友達もできず、授業もついていけず... 本当に苦労しました。
ただ、唯一卑屈にならなくてよかったのが、体格。
アメリカでも、平均よりも大きな方でしたが、縦にも横にも上には上がいた!笑
あ、私は割と普通なんだ... と、社会から受け入れられた気分になったものでした。
日本ではサイズがなくてイライラする、という理由で大嫌いだったショッピングも、少し露出の多目な服も、アメリカだとエンジョイできました。
【サイズが用意されている=社会に許容されている】そんな気分は初めてでした。
そんな居心地の良さで、1年で7キロも大きくなった訳ですが(自制心なさすぎ!笑)、帰国するとやはり、窮屈な生活に逆戻りでした。
ただ少しだけ心持ちが変化しました。
日本では平均よりだいぶ大きいけど、他の国に行けばまぁ標準範囲に入れるし...
自分が気にしている程、他の人は何とも思ってないかもしれない...(と、いうか思ってない!笑)
今でも、集合写真で自分だけが大きく写っていたり、なかなか着られる服や靴がなかったりすると、コンプレックスが再燃して落ち込むこともありますが、一晩寝れば忘れます。
昨今は平均的に大きくなり、私がTEENの頃よりは過ごしやすい社会。
けど、やっぱり最後に言いたい!
背が高いからってみんなモデル体型ちゃうんやぞー!笑
自分らしく生きる勇気がもらえる、アデルの名言集|ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)
アデルの歌声に惹かれるのは、彼女の心と身体な【大柄】かもしれません。笑