国産のバッグもいいじゃない
いわゆる“アラサー(30代)”になって、自分の持ち物が人柄を表す、というか持ち物によって人から「ああ貴女はこういう人なのね」的な判断をされることがある、ということを感じる機会が増えた気がする。
それを「見栄」と言ってしまえばそうなのだが、そう単純に言い切れない部分が多い、と私は思う。
ある容姿端麗の女優さんのインスタグラムでハイブランドの素敵なバッグを見て、オラウータン(夫)に、「このバッグが素敵なの。今、私が持っているバッグにこの色のものはないし、ラップトップも入りそうだから、仕事でも使えそうだし……ごにょごにょ…」と相談を持ちかけた。
(自分で買うのだから、別に相談なんてしなくてもいいじゃない!と、思う方もいらっしゃるであろう…ビビリの私は高そうなものは相談してしまうのであーる。)
『で、いくらなの?』とオラウータン。
「30万弱……」と、私。
『あのさーあ、そもそも革のカバンって重いし、貴女は高いものでも買ってからちゃんとお手入れしないじゃない?それに、そのブランドのカバンじゃなくても、もっと使い勝手が良かったり、品質がいいもの、あるんじゃないの?』
おっしゃるとおりです。
先程、「見栄」ではないと書いたけれども、いつからか自分の選んだものに自信が持てなくなっていることに気がついた。というか、選ぶことを放棄している。
小学生や中学生の頃は、地元のショッピングモールのあちこちを見て回り、悩んだ末に買った文房具やアクセサリーを「私だけのお気に入り」と胸を張っていた気がする。
新しいものを買えば、学校で友達に見せびらかし、自分が気に入ったポイントを自慢気に話していた。
それがいつからか、世の中には様々な“Reputation”(評判、とでも言おうか)があり、人々の嗜好によって自分自身がカテゴライズされていることに気がつく。
“アラサー”のそれは、バッグやシューズ、ネイルやメイクに始まり、ライフスタイル全般に及んでいるのである。
ハイブランドを手にすることは、吟味をせずとも自分の望む“Reputation”を手にすることができることでもある。
じっくりと品質や機能、使い勝手、見た目も含めて、熟慮を重ねて選ぶ…ということがいつから苦痛になってしまったのだろう。
その言い訳として「考える時間がもったいない」なんて思ってしまう私は、相当な末期!
と、言うことで、この週末は丸1日かけて仕事用のラップトップを入れられるバッグをリサーチした。
今自分が持っているバッグとの併用も考えた末、TRIONというメーカーに行きついた。
取り扱いのあるお店を調べたところで1日目終了。
翌日、オラウータンに車を出してもらい、その場で一緒に色を選んだ。
ハイブランドのバッグを買う高揚感(と、いうか本当に買って使いこなせるよね?というスリルに近い)はなかったものの、ほっとする買い物ができた。
私が買ったのはSA122という非常にシンプルな、でも経年による変化を楽しめそうなデザイン。
SA122|DOCUMENT (薄マチ)|TRION(トライオン) ONLINE STORE【オフィシャルサイト】
帰宅してすぐ、防水スプレーをかけ、今は乾かしている最中だ。
さてさて、久々に考え抜いたお買い物で入手したバッグは、長く使い続けられるでしょうか。
もうすでに、愛着が湧く気がしている。